寺地はるな「わたしの良い子」の書評

子育てをしている私に、とてもグッとくる言葉が多かった小説。
寺地はるなさんの小説は初めて読んだけれどとっても読みやすい1冊でした。

忘れないように書き留めておきたい言葉。

守るべきものの優先順位を間違えないこと。

朔に「がまんできるから」なんて言わせてしまうことに比べたら、先生や静原夫妻に嫌われることなんか少しも問題ではない。守るべきものの優先順位を間違えてはいけない。

人の目や自分のプライド、体裁、判断をすること、
私たちは子育てをしていると特に、いろんなものを気にしてしまう。
もちろん子育てをしていなくても、日常生活でも人間関係でもたくさんそんなことはあり得る。

でも大事なことを忘れないように、
誰かに何かを言われて心がモヤッとした時に、
あれ?これってなんのためにしているんだっけ?とわからなくなった時に、
今一度この言葉に返り、自分に問い掛けたい。

すっきりきっぱり解決しない物事とうまく付き合っていくこと、それが生きていくということ。

ダンスが嫌なんじゃなくて、ただ他のことに気を取られているだけなのかもしれない。
あくまでも推測で、はっきりとはわからない。
でもたぶん、生きていくってそういうことなんだろう。
すっきり、きっぱり解決しない物事と、うまくつきあっていくことなんだろう。
「いっこずつ、解決していこうね」

子育てって本当にそんなことだらけだ。
なんで?どうして?と詰めることはなんの解決にもならないのにやってしまう。
みんながやっているダンスをやらない朔に対して
”自分が納得できる理由がある場合はわたしも言葉を尽くして説明するが「なんとなくこういうことになっているから」という理由で朔にダンスを強制することはできない”と考える椿が、子供に接する大人としてすごく誠実な感じがした。
建前を使わず、正直に本音を話すこと。
言葉を選んで、他人軸にも感情にも振り回されずに、自分の言葉で伝えることは、
子育てにおいて、人と接する時にも大事だなと思う。
すぐに答えは出ない子育てだからこそ、そういう物事に対面したとき、それとうまくつきあっていくことが生きていくということなのだ。
時間は戻らない。自分のやっていることが正しいのか、わからない。
でも向き合ってつきあっていきたいと思う。

ズレてるっていうのは標準モデルがいると仮定しているからでしょ。でもほんとは、いないんだよ。そんなのどこにも。

人は自分がみたいと思うものしか見えない。自分が見て経験してきたものこそが普通であり標準であると思い込みがちなのだ。

他人はいつも物語を欲する。自分が納得できる物語を。

椿の芯の強さというか、自分軸のずれなさがあって、それがかっこいいなと思った。
人にはいろんな事情があるし、背景がある。
みんな自分を悲劇のヒロインにしたてて、演じることも多い気がするけど、
椿にはそれがない。
私はこんなにやっているのに、がない。主体的に生きる、
その主体性こそが人を強くし、朔にもその姿や、愛が伝わるのだろう
なと思った。
子育ての軸を作るのが大事などとよく言うけれど、
大人が主体的に生きることこそが子どもの育ちに影響をおおいに与えうると改めて思う。

「自分がいなくても生きていけるように育てるのが、親の役目だわ」

椿の恋人の高雄のお母さんが言った言葉。

私たちは色々と求めてしまいがちだ。当たり前になると、ありがたいことなのにありがたみを感じず、欲張って求めてしまう。
でも子どもはいずれ離れていく。
親がいなくても子どもが育っていけるようになれば、それで良いんだとハッとする。
その解像度をどうあげていくか、その割合は自分が決めれば良い。

他人がどうこう言うことじゃないんだなと改めて、思う。

生きている限り、人は誰かを傷つける。私もたくさん傷つけてきたんだろう。

それでもわたしは、傷つけないように、傷つかないように、なるべく他人とかかわるまいなどとは決して思わない。
鈴菜や朔にもそうんなふうに思ってほしくない。

「こうしたらこう育つ」なんて明確なルールがあるわけじゃない。子どもと対峙する時は、いつだって手さぐりだ。
たぶん誰もが「どうしよう」とか「わからない」とか「もういやだ」とか、そんな気持ちを腕いっぱいに抱えて歩いている。後戻りができないことをみんな知っている。だから、進むしかない。

静原夫妻も、頑張っている。あゆちゃんに怒ってばっかりのママも、あまり当事者意識のないパパも、
必死でそれぞれの正義をかざしながら、なんとか正当化して前に進んでいる。
うまくいかないことだってある。
歯車が噛み合うのは、ほんのちょっとの差なのではないかと思う。
もちろん崩れていくのも、ほんのちょっとの差なのだと感じる。

最後、朔が集合場所へ一人で行けたように、時間がかかってもきっと一つ一つ積み上げたものが
よかったと安心できる日が来る。

高雄と椿が結婚へ向けて一緒にずっといられる未来を、
鈴菜が朔のお母さんとして自分を認めらるれように、
穂積が、良いパートナーと出会えることを、
杉尾の赤ちゃんが無事に産まれるように、
祈りたい。

小さなことができず、大したことないことがなかなか進まず、焦ったりすることもある日々だけど、
他の子みたいにできなくたっていい。なんの条件も満たさなくて良い。
ここにいるだけでじゅうぶんすぎるくらい良い子なのだと、
後で子育てが終わってから思うのではなく、
いま、それを思いながら子どもと一緒に毎日を重ねていきたいと、思った。

子育てで悩むすべての大人におすすめの1冊です。